この記事の続きです。
関西汽船を探せ?
船内の撮影をした後は案内所へ。
乗船記念のスタンプがあったので押していたところ、案内所のお姉さんが「インクが付きにくいのでしっかり押すよう」アドバイスをくれ、奥から船のパンフレットを持ってきて渡してくれました。ヲタ認定?
(この流れをネットで読んだ記憶があるのですが、その通りになりました。)
スタンプの船の絵は関西汽船のままです!
案内所にあったパンフレット置きの横に「KANSAI KISEN」の文字が!
隣の提案箱(投書箱)も関西汽船時代からあったと記憶しています。
壁には船長の名札が!これも関西汽船のままです。(個人名なので黒塗りしました。)
等級による区別が厳しかった時代の名残です。特等、1等と誰が見てもわかりやすい名称が素敵です。(スーペリアとか、プレミアムとか、よくわからん!)
「一般配置図」が掲示されていたのは興味深いです。客室だけでなく船員さんの居住区や船底のタンクの配置等も詳細に記載されていました。
改装で図面を何度か修正しているので文字が潰れて読みにくいですが見ていて飽きませんでした。
「船長の部屋にはベッドが2つある」とか「スチュワーデスの部屋は2段ベッドの4人部屋が2室」のような事が読み取れます。現代ではセキュリティーの観点からか?こうした掲示はあまり見かけなくなりました。
関門海峡の通峡は貴重な体験!
「フェリーくるしま」は定刻21時55分に小倉港を出港しました。
スタンスラスターが付いていないので船尾がなかなか離れないのがよくわかりました。
砂津航路から関門航路へ!
周囲にはカメラを持った同業者の方?が数名いらっしゃいました(笑)
関門海峡海上交通センターの「関門海峡航行参考図」や船舶の位置情報のアプリを見ながら見物するとより一層楽しめると思います。
やや視界が悪くて残念でしたが、下関側の巌流島や三菱造船付近です。
下関の市街地
いよいよ関門橋へ(ライトアップは22時終了なので暗かったです。)
最も狭い門司埼付近です。「早鞆瀬戸水路」と呼ばれ、昨年引退した僚船「フェリーはやとも2」の船名はここに由来しています。
火ノ山下流信号所
無事に通峡しました。ここまで出港から約30分でした。
関門海峡を通峡する国内航路は「松山・小倉フェリー」のみなので廃止後は釜山や上海への国際航路かクルーズ客船でしか乗客としては体験できなくなります。
尚、関門海峡を楽しむには小倉発がお勧めです。5月からは関門橋のライトアップが23時になるようなのでより美しくなります。松山発だと小倉入港前の未明になるので橋も街も暗いし、何といっても眠いです。
以前はドックダイヤで小倉発の昼便が設定されていました。叶わぬ夢ですが乗ってみたかったですね。
昭和の船旅に思いを馳せる!
関門海峡通峡後、外に居て冷えた体を上等級用のお風呂で温めました。おそらく上等級用のお風呂が区別されている船も本船が最後だと思います。
シャワー2個と小さな浴槽でしたが共同風呂です。一般用の浴室より高級感がありました。遅く来たのに誰も使った形跡がありませんでしたが、知らない人と一緒に入るのは気まずいかも?
お風呂は23時30分までなので余裕がありましたが、売店が23時までなので急いで入浴し、閉店間際の売店で缶ビールを購入して小倉駅で買った総菜パンで晩酌しました。
1等Bは部屋にソファーやテーブルがなく下段のベッドに座るしかなく、座ると上段に頭が当たるので使いにくい面もありました。差額は大きくないので1等Aの方が良かったのかも知れません。
普段は浴衣は使わないのですが今回は関西汽船の浴衣を着て就寝しました。会社が変わっているのに、これがまだ使われているのが奇跡!
2段ベッドは上段の圧迫感があり、決して寝心地の良いものではありませんでしたが、エンジン音を聞きながら昭和の船旅に思いを馳せながら眠りに就きました。
7時まで船内休憩できる!
松山観光港への入港は早朝5時ですが、7時まで船内で休憩できるという素晴らしいサービスがあります。事前の申告は不要で朝目覚めた時の気分で決めることもできます。
実は5時に降りて元特急車両の普通列車に乗るか、7時まで船内でゆっくりするか迷いましたが、「フェリーくるしま」にはもう乗る機会はないと考え、7時まで船内に居ることにしました。
部屋で到着の放送を聞きながらウトウトしていましたが、放送文が車両甲板ではなく「駐車場」だったり、下船ではなく「上陸」と読む点に関西汽船の名残を感じました。
6時前に起きて外へ!急な階段を昇って・・・
この先は就航直後に増設された2等の大部屋。
雨は降っていないけどどんよりしたお天気・・・
客室内を一回りしていると、部屋の扉が開いていて中を見ることができたので通路から撮影させて頂きました。
これぞ「2等寝台」というお部屋ですね。
ネットで動画や乗船記を見ると混雑していなければ1人でも相部屋にならないように配席してくれる感じなのでここでもいいかとも考えましたが、「関西汽船の浴衣」と「上等級用のお風呂」のために1等Bを選びました。
2等の小さい部屋。上の階の増設された大部屋は施錠されていました。
寂しくなる松山観光港
元々乗船客は少なかったのですが、船内で休憩した人は僅かだった印象でした。下船は入港時に下船する人が途切れたら一旦タラップを外し、6時30分から7時まで再び下船できます。
部屋に座る場所がないので畳敷きのフリースペースで缶コーヒーを飲みながらゆったりと過ごしました。
壁には旧塗装と新塗装の「フェリーくるしま」の絵が掲示されていました。
ついに下船の時が!
空っぽになった車両甲板
松山観光港は小倉港と違って近代的な雰囲気でした。
松山・小倉フェリーが廃止されると松山観光港を発着する夜行フェリーがなくなります。かつて関西汽船、ダイヤモンドフェリー、三宝海運、愛媛阪神フェリーなど、多くのフェリーが発着し、この場所には関西へ向かうトラックが多く並んでいました。今後は一層寂しくなります。
車両用の切符売場。松山観光港では旅客と車両で手続きする建物が分かれていました。(社名の看板はかつては「関西汽船」「ダイヤモンドフェリー」と記されていました。)
柵があるのであまり船へは近付けませんでした。
旅客用ターミナルからは伊予鉄道高浜駅行きのバスがありますが、以前は100円だったのに250円に値上げされていたので歩きました。
700mぐらいなので徒歩10分程度でした。雨や荷物が重くなければ十分に徒歩圏内です。実は小倉港~駅より近いのです。
まとめ:昭和へ思いを馳せる船旅
2025年6月で廃止される予定の「松山・小倉フェリー」に乗船しました。
「フェリーくるしま」は昭和62年就航の古い船ですが、2019年に大規模な改装を行った事から、運航会社はもっと長く航路を維持するつもりだったのでしょう。こんなに長く活躍するフェリーは珍しく、大変貴重な存在です。
船齢40年近い古い船にわざわざ2万円以上払って窓なしの狭い個室に泊まる、しかも目的地に用事はなく、乗船そのものが目的なんて、一般の方から見たら理解し難い行動でしょう。
しかし、決して快適とは言えない本船の2段ベッドでエンジン音を聞いていたら昭和の時代へタイムスリップしたような錯覚すら覚えました。
本船が新造船として就航した時代は携帯電話やインターネットはなくて今より不便だったかも知れませんが、まだ日本が豊かで成長を実感でき、将来へ希望を持てた「楽しい日本」な時代だったと思います。そんな時代を思い出しながら素敵な時間を過ごす事ができました。
他にもっと安くて快適なフェリーが沢山あることは否定できませんが、昭和の時代へ思いを馳せるためのチケット代であるなら、払った価値は十分にあります。
令和の時代に昭和の船旅を体験できる期間はあと僅かです。皆さまも貴重な体験として乗船してみてはいかがでしょうか?
残り3か月のご安航をお祈り申し上げます。